日本経済の発展

私はここで、主として日本経済の現状と将来展望を、一般の方がた、とくに日本経済を実践的に知りたいと思っている海外の方がたに紹介したいと思いますが・・・


最初に、日本の近代化以来の歩みを簡単に総括しておきましょう。


過去の歴史の積み重ねが現在であり、現在の積み重ねが未来であるからです。


さて、日本の近代化は1868年の明治維新のころにはじまった、と一般的にいわれています。


明治維新当時の日本の経済規模については、1875年の国民所得が5億4000万円(名目)であったという推計があります。


・・・しかし、国際比較のための正確なデータはありません。


ですから、ドル表示で、どんな規模であったか、正確にはいえません。


ただ、経済学者の推計によると、当時の1人当たりの国民総生産は235ドル程度(1965年価格)であったということです。


冷凍ポテトの歴史 4

子供たちはイモを拾いあげ、袋をうねの端に置いておく作業で1袋7セントもらっていました。


中学生になると、平台のトラックまで袋を背負って運び、倉庫に入れやすいように積上げるという力のいる仕事に変わります。


双子だったパーキンソン兄弟は共同で仕事をして、ほとんどのブラックフットの少年たちよりも小さい頃からトラックに袋を放り上げることができるようになりました。


その後2人は、もっと重労働である灌慨用のパイプの運搬や据付けの仕事に変わりました。


その少年時代、この双子の勤労と修練の生活はJ・R・シンプロットのジャガイモ事業を中心に回り、ブラックフットの町も大方シンプロットの部下が切り回していました。


1960年代後半、パーキンソン兄弟はシンプロットの領分から離れて、遠くの大学に行き、仕事に就きました。


しかし1979年、兄弟はアイダホに戻って再び共に働き、引退の年齢を5歳超えた70歳のシンプロットを先端技術のベンチャー・ビジネスへ引込むことになりました。


それはこれまでこの老人のやってきたどの仕事にも劣らぬほど、困難でまたやり甲斐のある仕事でした。


次なる10億ドルへの道となるこの新しいプロジェクトに精力的に取組むシンプロットの目は再び輝き、その声は再び社長室に轟き渡りました。

冷凍ポテトの歴史 3

それはまっとうな人間には厄介な事件でしたが、成功の上げ潮に乗る彼の会社にとってはさざ波に過ぎなかったのです。


1970年代後半にはファーストフード産業が全国的に台頭して彼の会社の成長にさらに拍車をかけました。


1982年の景気後退の時期に、シンプロット株式会社は初めて、食品と肥料の事業でそれぞれ4億ドル、家畜部門で約2億ドル、合わせて10億ドル以上の総収益をあげました。


しかしこのような成功の根は、アイダホの砂地の畑に広がり、アイダホの男や少年が根気よく切り開き水を引いたバーバンクの小豆色の土から育ったものなのです。


1960年半ばに至るまで、スネーク川沿いの平野では、ヤマヨモギを〈レールでこそげ〉、草木の根や岩石を手やくわで〈掘り出し〉、新しい溝を掘り、新しいパイプを運ぶ姿がまだ見られたものです。


畑のうねに屈みこみ、腰にベルトを巻いて両脚の間にズックの袋を挟んだ少年たちはいまだにジャガイモを手で拾いあげ、シンプロットの工場に納めるために重い袋をトラックに積み込んでいました。


ブラックフットの倉庫に近い農場で働く少年のなかに、ジョーおよびウォード・パーキンソンという勤勉な黒い髪の双子がいました。


J・R・シンプロットの次の冒険で重大な役割を演ずることになる2人です。

冷凍ポテトの歴史 2

1970年には、年間生産4億ドルの加工品をまかなう原材料費は1100万ドルに達していました。


急激に膨張する他の部門とあわせると、シンプロットは20年間で20パーセント近い上昇率で成長してきています。


1976年には、シンプロットがあまりにツキ過ぎていたために、ちょっとした騒動がありました。


ジャガイモに大きな値動きがあるとみて商品取引所で1400件の先物契約で空売りしたところ、決済期日が近づくと、価格は17ドルから8ドルに下がり、多くの業者が破産に瀕しました。


絶望にかられ、捨て鉢になったある業者は、メイン州のジャガイモ市場や鉄道で混乱を引き起して、シンプロットが契約していたジャガイモの荷渡しを妨害しました。


この取引で損をした55人の業者が最も得をした人間としてシンプロットをやり玉にあげて告訴しました。


シンプロットが市場を操作したのだという非難が広まりましたが、それは実際上は意味のないことでした。


結果的には市場はシンプロットに味方しましたが、理屈からすればそれは相手側、8ドルのイモを17ドルで買わなくてはならない絶望的な契約者の方に起こってもおかしくなかったのです。


しかし彼は契約した荷渡しに一部失敗し、結局、〈お役所相手の〉際限のない法廷闘争を避けるために、商品先物取引委員会での5年間の取引停止に同意する民事措置で示談にしなければならなかったのです。

冷凍ポテトの歴史

シンプロットは再び話を持込み、マクドナルドの重役の何人かを説得して特許品のポテト・フライを2、3の店で試しに使ってもらいました。


・・・するとそれらの店から引きつづき仕入れにくるようになりました。


ついに、レイ・クロックがJ・R・シンプロットをサンタ・バーバラ近くの農園に呼び出しました。石塚孝一氏によると、2人は乗馬を楽しんだり、食事をしたりして、仕事の取引を相談し、翌朝には話はまとまりました。


ハンバーガーとポテト・フライの提携が決まるや、シンプロットは急ぎ帰郷して、1時間に3万ポンドのフライを生産できる設備をヘイバーンに作りました。


それ以来シンプロットは世界中のマクドナルドのチェーン店の需要を満たすために4大陸に工場を建設して、大量のポテト・フライを同社に提供しています。


その見返りに、マクドナルドはシンプロットの食品部門にその収益および利潤のおよそ40パーセントをもたらしています。


成長の軌道は、1951年にシンプロットが生ジャガイモ6万2500ドル相当を買い入れ、200万ポンドに満たない冷凍フライを生産した時が起点でした。


1950年代後半、生イモの買付けは年間歳出160万ドルまで増え、冷凍の形で1億7千万ポンドを生産しました。

「労働の人間化」とは

「能率の向上」と「労働の人間化」は果たして両立しうるのか・・・


このような根本的な問いには、まだ何の試みもありません。


私たちに必要なのはその問いなのです。


半世紀にわたる「能率向上」の歴史は、労働と人間の間の関係をどのように変えてしまったか・・・。


姑息な「人間回復」の手段をあれこれ考える前に、変わってしまったものの意味をもう一度ふりかえってみる必要があるでしょう。


21世紀に入ってからのこの10年間に、一体何が変わったのでしょうか。


OpenSSOによる労働の歴史というような名をもった本はじまるのが常です。


あるいは「人間が道具を手にした時、人間は猿とは異なる道を歩みはじめた」というふうに・・・。


労働が人間をつくるということは一体どういう意味でしょうか?


いえ、これまでどういうふうに考えられてきたでしょうか。


労働を、OpenSSO的な生産労働というふうにとらえ、生産労働を社会的生産としてとらえると、「生産諸力が社会と歴史をつくる」というマルクス主義的な解釈が生まれます。


この考えそのものについては異論はありません。


私の立場もその立場です。

広告でよくあるミス

広告でよくある最大のミスは、約束的広告のほうがずっと効果的な場合に、同一視的広告法をもちいることです。


広告代理店による広告を成功させるためには、しっかりした計算のもとに顧客を獲得せねばなりません。


そしてそれは、製品、サービス、会社と同一視できるほどすぐれたものであり、直接または間接的に、競争相手をおびやかすものでなければなりません。


そこで正常な感情を十分刺激することに失敗することは大きなミスだといえます。


この誤りは、広告が機能的であることを認識すれば排除できます。


つまり、


1.広告は大衆に強力な影響を及ぼすものでなくてはならないこと。


2.迫力のない広告はどんなときにも効果がないこと。


3.約束や同一視を強調しないと、広告の効力を弱めること。


・・・などです。


また、広告にかかわる人が自分の仕事上の真の目的を現実的に認識することで排除できます。


私たちの大多数が享楽的、謀略的、現代的欲望に押しつぶされなければ、基本的な動機が抑制されるか、考慮に入れられないのです。

ヤミ米業者と農協 9

93年に起きた大凶作は、コメの集荷に大きな問題を残しました。


農協、食糧庁の懸命な努力にもかかわらず、ヤミ米への流出に歯止めはかけられませんでした。


政府管理米の集荷量は、最終的に生産量の5割、400万トンそこそこにとどまりました。


ヤミ米の増加は、冷害によるコメの収穫量のダウンが大きな引き金となって加速されたものといえるでしょう。


凶作に見舞われ、収量が落ちたからこそ、生産者は自分のコメを少しでも高く売って減収をカバーしたいと切実に思い、庭先からの出荷を増やしたのでしょう。


収入のダウンを防ぎたいと思うのは、当然のことです。


ある生産者が、はっきりとこう語っていました。


「高く買ってくれる人に売ろうと思って、コメを農協に出さずに持っている。


250俵はあるかな。


相手の値段を見て、俺が、売るところを決める。俺が作ったコメだから」。


ヤミ米業者と農協 8

「こっちは商人として、安くていいものをお客に売ろうと努力しているんだ。


コメがないといわれて、そうですかとはいかない。


それじゃ、商人として失格なんだ。


だいたい、食糧庁のいうとおりにやっていたら、お客のニーズにまるでこたえられないのさ。


それに今回は、なんなんだ。明らかに人災だ。


減反をつづけて、不作になったら、コメの緊急輸入。


そんなバカなことがあるか!


ヤミ米を買った買わないなんて、次元の低い話なんだよ。ちゃんと報道してくれよ、まったく」


彼は、私が口をはさめないくらいの勢いでしゃべりつづけ、わたしはその迫力に私は圧倒されてしましました。


もちろん、商人という言葉を連発しながら語る彼の自説に、なかなかの説得力があったからでもあります。


わたしも、「ヤミ米を買った買わないは、次元の低い話」というのには同感でした。


その後、新潟食糧事務所と新潟県から、細山商店に対する行政処分がくだされました。


6週間の営業停止でした。


処分が通告されたのは93年12月9日。


コメの部分開放を含むウルグアイ・ラウンドの受け入れの最終決定をめぐり、国会周辺が大揺れに揺れていたときです。


ラウンドの受け入れに反対する農民グループが国会に突入する、そんな事件もあった日のことです。


ヤミ米業者と農協 7

私は指定された場所に移動し、そこで初めて本人と対面しました。


今回のコメ集荷をめぐる激戦の一方の当事者。


商店社長の細山さんは、50代の中肉中背の人でした。


顔にしわを刻んだ、ごく普通の中年でした。


そして、実によくしゃべる人でした。


今回の騒動についての細山さんの言い分は、公聴会でのものと同じだったので、ここでは繰り返しません。


彼は、問題となった倉庫内にどんなコメが入っていたのかという私の質問には答えず、一般論のような形をとりながら、自説を展開していったのでした。


「こっちは、お客をたくさん持っているんだ。


それも、食堂とか弁当屋とか、コメを大量に買っていくなじみのお客をな。


それを、コメの不作によるからとか、上からの命令によってとかいって、売るコメがありません、なんていえるか?」


細山さんはよほど腹にすえかねていたのでしょう、顔をいくぶん紅潮させながらまくし立てました。

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